輸出に有利な条件が揃っていた

2011.11.24

こうした状況は昔からつづいていたかというとそうではない。円の為替レートが大きく高って購買力平価との乖離が生じたのは一九八〇年代の中頃である。とくに一九八五年九月のプラザ合意以降その乖離が顕著になった。プラザ合意というのはその時、世界主要国の蔵大臣と中央銀行総裁などがニューヨークのプラザホテルに集ってドルや円などの為替レトの調整について相談し合意したことを言う。この合意によってそれまでの異常なドル高是正されたが逆に円の為替レートが大きく切上げられる事になった。

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プラザ合意以前は円一ドル=二四〇〜二五〇円ていどだったのがその後一年半ほどの間に一ドル=二一○円ていどまで、円の為替レートがおよそ一〇〇%も切り上ったのである。一九七〇年代以前はむしろ最近とは逆であって、円の為替レートは購買力平価よりも低かった。一ドル二六〇円だった一九七〇年代初頭には購買力平価は一ドル=二〇〇円ていどだったという推計もある。為替レートが購買力平価よりも安い場合には輸出企業は競争上きわめて有利な条件に恵まれる。つまり、ドルで値札をつけた場合、製品の実力よりもはるかに安い値段ですむからである。そういう条件がある場合には当然製品の価格競争力は強くなるから輸出はきわめてしやすい状況となり、輸出企業は大いに発展する。日本経済が高度成長をした一九六〇年代から一九七〇年代前半にかけてはそうした条件に恵まれていたのである。いいかえれば、それが日本の経済と企業のめざましい発展を支えたメガトレンドだった。そのメガトレンドが一九八〇年代後半から、そしてとりわけ一九九〇年代に入ってすっかり逆に変わってしまった事に注意する必要がある。これはそれまでの企業の発展を支えた基盤がすっかり変わってしまったことを意味する。したがってそうした新しい条件に適応するためには企業はその戦略やしくみを抜本的に変える必要に迫られているはずである。さらに最近はこの円高による逆境を一層増幅するような現象が世界的規模で進展している。





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